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購入に至る道
 小さいころから機械いじりが好きな子供でした。小学2年生の時には、すでに、自分の自転車のパンク修理をしていました。そんなこんなで、バイクの免許を取ってげんちゃりに乗るようになります。バイクは単なる移動の手段では終わりませんでした。周囲の友達の影響もあり、オフロードを走るようになったのです。小型二輪から中型へと免許取得、そのたびにオフロードバイクも大きなものへとステップアップしました。そうして、XR250に乗るようになり、オフロード三昧の学生生活を送りました。就職してからもそれが続いていました。   

実家の近所には、三菱の販売店を経営している方が住んでおられました。その方の乗っているJ59を(そのときはジープとしか知らなかったのですが)をよくみかけました。バイクを運ぶためのピックアップトラックに、4WDのダットサンやハイラックスを使う友達もいて、四駆もいいなあと思いながら、あえて2WDのトラックを使っていました。なぜなら、4WDを買ったら絶対にJeepに行き着いてしまうと、で、バイクに乗らなくなると思ったからです。

10年程前に、父がジムニーを購入しました。まだ慣らしの終わらないジムニーを借りて、私はキャンプに出かけました。そのとき、近所のジープ乗りの人たちと出かけたのですが…。

これが運の尽きでした。もちろん、ただのキャンプではなく、林道ツーリングだったのですが、初日は普通の林道でした。しかし、2日目はもう道ではありませんでした。後で聞いた話ですが、まだだれも通ってない道?だったのでした。V字の谷を下って、大きな石がころがる、切り立った壁の間を進むコースで、どノーマルのジムニーは、他の車のウインチのお世話になりながら進みました。

帰ってきたときは、アンテナは折れてミラーには傷が入り、車体は擦り傷だらけになり、ドアの下は潰れていました。車を見た父は、「彼らと出かけるのだから、無傷で帰るとは思って無かったよ」と言いました。がさすがに、もう、借りれないと思いました。

そのとき、京都ナンバーのJ56が一台、車屋のガレージに入っていました。当時の私にとって、1ナンバーは保険も高く、普通の人の乗り物ではないという意識がありました。だいぶ悩んだのですが、結果的に購入を決意。それからジープの生活が始まったのです。