20001.03.07(水) |
入院6日目。入院5日目 てんきくもり 朝5時半頃、腰が痛かったので看護婦さんにベットを起こしてもらう。ずいぶん楽になった。 その姿勢でうつらうつら寝ていたらしい。採血は、足から。結構痛い。 体温 36.7度に下がった。 わきの下は相変わらず痛い。先の丸い棒でずーっと押さえられている感じがする。麻酔から覚めた直後から。麻酔のボタンを押してもこの痛みはなかなか消えない。胸は全然感覚がない。圧迫ガーゼのようなもので押さえられているのは分かる。このため、息を吸うときに苦しい。圧迫包帯がわきの下も圧迫していて痛いのかと思うけど、首を動かそうものなら肩から腋全体に痛みが走る。 息苦しくなったので酸素マスクを横に置く。時々吸うととても楽になるので、はめたり、外したりの繰り返し。 ボールを一生懸命握る。何か気を晴らすものがあると少しは痛いのも違うかなと思うけど、握れば腋は痛い。これはリハビリの第1歩。ここからコケル訳にはいかないと、必死で握り締める。 明るくなった。看護婦さんから体を拭いてもらってものすごくすっきりする。おしっこの管も取れて、ほっとする。 |
8時過ぎ、先生がこられる。背中の麻酔の注射を取るよーといわれた。その後、肘からぐ〜っと上にあげられる、ヒエー痛いよー。腋がちぎれちゃうよー。先生、オニー!!!!!と心の中で叫ぶ。今日は握ったボールがおでこにつくまであげてねと言われた。 自分であげてみるとさっきほどは痛くない。しかし、頭を前に持ってこないとおでこに届かない。 がんばってあげれるようにならなければ。 |
昼前に、「そろそろお部屋に戻りましょうか?」ということで、浴衣からパジャマに着替えた。袖を通すときは地獄だったけど。腕を伸ばせないのだ。右腕は肩から固まっている感じ。触ると二の腕は熱を持って腫れている。自分の腕ではないような感覚。先生から「部屋に歩いて戻れるようならそうしたほうがいいからね」といわれていたので、自分で歩いた。ベッドから降りて立つまでは良かったが、背筋を伸ばせない。右足を踏み出すと腋が痛む。点滴のがらがらを押して歩くのだが、左から右に振動が伝わり腋が痛む。腰を曲げ、びっこをひきながら、看護婦さんに手伝ってもらって何とか部屋に戻る。病室は一番奥。果てしなく遠かった。病室のみんなが「おかえりー。がんばったね。」と迎えてくれる。 母が来てくれた。昼はおうどん。3部がゆ食だがうどんなので、量が少ないらしい。箸を右手で握ってみる。指を使うのはそう痛くないが、口元までは腕が動かない。やむなく口を近づけて、「犬食い」のようにして食べる。体は思うようには曲がらない。箸も長時間はもてない。すぐに腕が鉛のように重くなって、疲れてしまう。休み休み、ゆっくり食べた。 昼からは自分で歩いてトイレにも行く。ちょっとふらつくけどがんばる。洋式トイレでよかった。しかし難問が1つ。ウォッシュレットのスイッチに手が届かないのだ。体をひねろうものなら右側全体が痛い。トイレットペーパーも右手側。反対側のトイレに入ればよかったと後悔。何とか用を足した。 昼を全部食べたと看護婦さんに報告すると、点滴の管も外れた。これで体にくっついている管はリンパ液などを排出するドレーンの「ぽち」だけ。これはしばらくくっついて回るから仕方がないか。リカバリールームから出るときに、かわいいポシェットに入れてもらって左肩からかけている。チューブからは赤い液が見えてるので、最初はちょっと気持ち悪かったけど、慣れてしまった。 少し昼寝。覚めて何度も腕を上げた。夕方近くになって、おでこにつくようになる。声を出すことはこんなに体全体に響くものとは声楽をやってるときには思いもしなかった。おしゃべりをするにも、自分の声が響いて腋が痛いのだ。 D先生が来られたので腕を上にあげて見せると「おお、あがってるね」といわれる。 |
その後は起きて夕ご飯まで母とおしゃべり。小さな声なら大丈夫になった。夕ご飯前に病院の近所が職場の妹が母を迎えにくる。お魚のあんかけ。五部がゆ。魚は母に解体してもらい、お粥の上にのせてもらう。 夫が7時半ごろつく。 少しおしゃべり。ずーっと立てていたたベットの背を倒してもらう。 夜に熱が上がる。37.2度。先生からは、手術後2〜3日は熱が出ることがあるけど、体にメスを入れてるから(おまけに乳腺もリンパ腺も取ってるし)、そんなに心配はないと聞いてたので、ああ、来たかって感じ。看護婦さんに水枕を使うか聞かれたけど、熱くはないので断った。 |